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数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書 (1925)) 小島 寛之(著) 756円

つまずきは大切
数学なんかつまづきだらけだったワタシ。だから現代新書の前にレビューかいた本とか本書とか、つまづきとりあげる企画大賛成!でも本書は少しレベルがハイかな?。つまづきって、思いやりないと書けないわよね。
疑問
昔数学科を卒業したことをなつかしく思い、この手の本はたまに買って読む。扱っている素材は興味のある面白いものだ。しかし疑問も多くある。「数学は役に立つ」という主張に対する著者の批判はとても論理を扱う資格などない。「数学は役に立たない」と世間が誤解して言っているから「役に立つ面もある」と多くの数学者や数学教育者が言っているのが現状だろう。実際、大学に残って教授をしている友人は「最近日本数学会で数学はどの分野にどのように役立つかをまとめた」と言っている。恐ろしいのは「「役に立つものしか必要ない」といった発想が見え隠れすることも見逃せない」と勝手に決め付けて、「自分の利益になる人とだけ友達になります」というような浅ましい根性と同じだと批判している部分である。数学的な読み物は相当読んできたが、こんな勝手な想像で他人を批判している著者は初めてだ。私が習った数学者や友人の数学者は「数学を役に立つと思って学習するのもよし、役に立たない内容だけど面白いと思って学習するのもよし」と異口同音に言っている。
ゲーデルの不完全性定理は昔習ったが、素因数分解の一意性を使っていることが気になって仕方なかったことを思い出した。ユークリッド幾何の公理系を積み上げるのに自然数の概念が使われてるかもしれないと書いてあるが、著者の気持ちか否かが不明だ。二つの帰納的な集合の共通集合が帰納的の証明はわかり易くてよい。ただ、「クリア」という語を使う部分には抵抗を感じた。
推論規則の説明部分に「君は頭が悪いか性格が悪いかのどっちかだ」という例がある。主観的な用語をこの手の例に使う著者は他にはいないと思う。著者は主観的なことを客観的なことに平気で置き換えるようである。εーδ論法は苦手であったが、高校の微積分が簡易化したバージョンと書いてある部分も疑問だ。バーコードに対する簡易コード、トイレに対する簡易トイレのようなものではなく根本的に迫り方がちがうと思う。もっともこれは私の主観である。
つまずき?
現代新書の以前に出た別の著者の本{算数数学が得意になる本}がありました。その本は今まで数学者がつまずきを恥ずかしいものと思って?取り上げなかったことを、研究された論文を紹介する形で算数から高校数学までのたてのつながりを意識してつまずきを解説していました。それで新鮮で一般読者にはかなり受けたようでした。でも私はまだ学者っぽいにおいがして70点ぐらいの点をつける本でした。そして今回の著者の本が出たので、もっとつまずきをていねいに書いてあるものととっても期待して買ってもらいましたが、正直いって専門の数学書という感じの本です。章の題は代数のつずずき、解析のつまずきとなっていて、つまずきという語はあっても???でした。ところが高校で習った数学の先生にもっていったら、数学の専門書としてはベリーベリーグッドと。代数学と解析学という分野の専門的な考え方をこの本を使って教えてもらっているうちに専門の数学の世界が少し少しわかった気になりました。代数学は仕組みで、解析学は動きです。数学を専門的に勉強する人にとっては絶対にすばらしい本でしょう。